
画像出典:Cpl. Damien Gutierrez, Public domain, via Wikimedia Commons
元Navy SEALスナイパーのクリスカイル(Chris Kyle)がテキサス州の射撃場で射殺されました。
イラク戦争に従軍し160人の殺害記録(自己申告は255人)を持ち、1920ヤードの距離で狙撃を成功させた彼は「ラマディーの悪魔(The Devil of Ramadi)」と呼ばれたアメリカンヒーローでした。
カイルはCraft Internationalでタクティカル・シューティング・インストラクターとして射撃場を利用しており、現場もその射撃場です。
この記事では、事件の経緯と詳細についてお伝えします。
クリス・カイルとは誰か

画像出典:TSHA ~ in accordance with Title 17 U.S.C. Section 107.,
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クリス・カイルは、アメリカ海軍の元SEAL狙撃兵であり、アメリカ軍史上「最も危険な狙撃手」として知られています。
自伝『アメリカン・スナイパー』を執筆し、大ベストセラーとなりました。
アメリカン・スナイパーは映画化もされましたが、内容は事実と異なる点も多々あります(後述します)。
クリス・カイルは、軍務を終えた退役軍人が民間生活に適応できるよう支援する活動にも従事していました。
軍歴
カイルはアメリカ海兵隊に興味があり、軍のリクルートオフィスを訪れましたが、アメリカ海軍のリクルーターに説得され、SEALsを目指すことになりました。
海軍に入隊する際、腕に入っていたピンが原因で最初は不合格となりましたが、最終的にBUD/S訓練への招待を受けています。
基礎訓練をイリノイ州のグレートレイク海軍基地で、情報専門家としての追加訓練をバージニア州のNMITCダムネックとテネシー州のNPCミリントンで受けました。
最初の長距離狙撃は、イラク侵攻初期に、手榴弾を持った女性が海兵隊のグループに接近していた際に、その女性が幼児をもう一方の腕に抱えていたとCNNが報じている中で、命令通りに発砲し、女性が攻撃する前に殺害したものです。
カイルの弟ジェフも、2000年から2008年まで海兵隊でイラクに2回従軍し、軍曹の階級に達しました。
西暦 | 出来事 |
---|---|
1974年4月8日 | テキサス州オデッサで生まれる。 |
1982年頃 | 父親から最初のライフル(.30-06スプリングフィールド)を与えられる。 |
1992年 | ミッドロジアン高校を卒業。 |
1992年-1994年 | ターレトン州立大学で牧場マネージメントを学ぶ。 |
1990年代 | プロのブロンコライダー※および牧場の手伝いとして活動。 ※ロデオ競技のブロンコライディングの選手 |
1998年8月5日 | アメリカ海軍に入隊。 |
1999年2月10日 | 基本訓練を開始。 |
1999年4月 | 海軍基地グレートレイクスで基本訓練を卒業。 |
1999年4月-7月 | NMITCダムネックで情報スペシャリストとしての追加訓練を受ける。 |
1999年8月-2000年3月 | NPCミリントンで追加訓練を受ける。 |
2001年3月 | NABコロナドでBUD/Sクラス233を卒業。 |
2001年5月-8月 | NABコロナドでSEAL資格訓練(SQT)を受ける。 |
2001年以降 | SEALチーム3に配属。 |
2003年以降 | イラク戦争で4回の任務に従事。 最初の長距離狙撃はイラク侵攻時。 |
2006年10月12日 | マイケル・A・モンソーの追悼式で、ジェシー・ベンチュラとのとされる口論が発生。 |
2009年1月 | ダラスのガソリンスタンドで強盗犯を射殺したと主張(後に否定される)。 |
2009年 | アメリカ海軍を名誉除隊。 |
2012年1月4日 | オピー・アンド・アンソニーのラジオ番組で、自著の「スクラフフェイス」の人物がジェシー・ベンチュラであると発言。 |
2012年1月 | ジェシー・ベンチュラから名誉毀損で訴えられる。 |
2012年 | 自伝「アメリカン・スナイパー」を出版。 |
2012年8月13日 | リアリティ番組「スターズ・アーン・ストライプ」に出演。 |
2013年2月2日 | テキサス州の射撃場でエディ・レイ・ルースに射殺される。 |
2013年2月11日 | カウボーイズ・スタジアムで追悼式が開催される。 |
2013年2月12日 | テキサス州立墓地に埋葬される。 |
2013年8月 | テキサス州で「クリス・カイル法」が制定される。 |
2014年 | 映画「アメリカン・スナイパー」が公開される。 |
2014年7月29日 | ジェシー・ベンチュラ訴訟で、クリス・カイルの遺産に賠償命令が下される。 |
2015年2月2日 | テキサス州知事が「クリス・カイルの日」を宣言。 |
2015年2月11日 | エディ・レイ・ルースの裁判が開始される。 |
2015年2月24日 | エディ・レイ・ルースに有罪判決が下される。 |
2015年5月20日 | クリス・カイル記念ハイウェイ法案が上下院を通過。 |
2015年6月3日 | クリス・カイル記念ハイウェイ法案がグレッグ・アボット知事によって署名。 |
2015年9月1日 | クリス・カイル記念ハイウェイ法が正式に施行。 |
2016年2月16日 | ハイウェイ287の標識が公開される。 |
2016年6月 | ジェシー・ベンチュラ訴訟の賠償命令が控訴審で一部破棄される。 |
2016年6月14日 | 海軍がクリス・カイルの勲章リストを修正。 |
2016年7月28日 | オデッサでクリス・カイル記念碑が公開される。 |
2017年12月 | ジェシー・ベンチュラ訴訟が和解。 |
2018年 | ミッドロジアンでクリス・カイルプラザと道路の名前が決定。 |
長距離狙撃記録ランキング
- 3,800m: ヴィアチェスラフ・コヴァルスキー(ウクライナ、2023年)
- 3,540m: (氏名非公開、カナダ、2017年)
- 2,815m: (氏名非公開、オーストラリア、2012年)
- 2,710m: (氏名非公開、ウクライナ、2022年)
- 2,475m: クレイグ・ハリソン軍曹(イギリス、2009年)
- 2,430m: ロブ・ファーロング伍長(カナダ、2002年)
- 2,310m: アーロン・ペリー上等伍長(カナダ、2002年)
- 2,300m: ブライアン・クレーマー軍曹(アメリカ、2004年)
- 2,286m: カルロス・ハスコック軍曹(アメリカ、1967年)
- 2,125m: (氏名非公開、南アフリカ、2013年)
- 2,092m: ニコラス・ランスタッド専門官(アメリカ、2008年)
- 1,920m: クリス・カイル上級兵曹長(アメリカ、2008年)
- 1,853m: クリストファー・レイノルズ伍長(イギリス、2009年)
- 1,700m: (氏名非公開、サウジアラビア、2016年)
- 1,614m: スティーブ・ライカート軍曹(アメリカ、2004年)
- 1,406m: ビリー・ディクソン(アメリカ、1874年)
- 1,380m: (氏名非公開、ノルウェー、2007年)
- 1,350m: ウラジーミル・イリン軍曹(ソビエト連邦、1985年)
- 1,310m: ブランドン・マグワイア上級曹長(アメリカ、2007年)
- 1,280m: ハーバート・スレイ軍曹(アメリカ、1918年)
- 1,250m: ジム・ギリランド軍曹(アメリカ、2005年)
参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Longest_recorded_sniper_kills
※参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Chris_Kyle
事件の概要
2013年2月2日、テキサス州の射撃場でエディ・レイ・ルースが、元米軍狙撃手「アメリカン・スナイパー」として有名なクリス・カイルと、その友人のチャド・リトルフィールドを射殺しました。
この事件にはルースが長年にわたり深刻な精神疾患を抱えていた背景があり、彼はPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されていましたが、後に統合失調症の可能性も指摘されました。
事件当時、ルースは幻覚や妄想に悩まされ、他人が自分を害しようとしていると信じ込むなど、精神的に不安定な状態にありました。
カイルは、ルースのPTSD治療を支援しようとし、射撃場に連れ出しましたが、ルースはカイルとリトルフィールドに敵意を抱き、射殺に至ります。
事件後の裁判でルースは精神疾患を理由に無罪を主張しましたが、陪審は彼を有罪と判断し、仮釈放なしの終身刑が言い渡されました。
犠牲者
エディ・レイ・ルース(加害者)
エディ・レイ・ルースは25歳の元アメリカ海兵隊員で、少なくとも2年間、精神病院への入退院を繰り返していました。
なぜ事件は起きたのか
事件後、ルースを診断した法医学精神科医は、彼が統合失調症を患っており、重度の被害妄想を抱えていたと結論付けました。
この診断は、事件前のルースの言動によっても裏付けられています。ルースは当時、「同僚は自分を食べようとしている人食い人種だ」と信じ込んでいたと、法医学心理学者に語っています。
また、事件当日の朝、ルースは「空気の匂いや周囲の雰囲気が通常とは異なって感じられた」と述べており、カイルとリトルフィールドに対して強い不信感を抱いていたことが明らかになっています。
カイルとリトルフィールドが途中で立ち寄ったファストフード店で、ルースに食事を与えたことに対しても、ルースは「自分が空腹ではないにもかかわらず食べさせようとしているように感じた」と話しています。些細な出来事ですら、ルースの妄想的思考の中では脅威として解釈されていたようです。
動機
犯行の正確な動機は判然としていませんが、中心的な要因としては、ルースの被害妄想が挙げられます。
ルースは後に、「あいつ(カイル)の魂を奪わなければ、俺の魂が奪われると思った」と語っています。この発言は、犯行時に彼が現実と妄想の区別がつかない状態にあったことを示しています。
また、射撃場という環境自体が、ルースにとっては「対決の場」として誤認されており、脅威として映っていたようです。
ルースは、事件当時について次のように述べています。
So we’re shooting pistols here, huh?
Again, that’s pretty much saying, ‘Duel mother****er.’
つまり、ここでピストルを撃つってわけか?
それって、実質「決闘しろ」ってことだろ。
edition.cnn.com/2015/02/23/us/eddie-ray-routh-american-sniper-motive/index.html
この状況の誤解が、殺害に繋がった可能性が高いと見られています。
また、射撃場でリトルフィールドが射撃に参加せず、見学していたことがルースを興奮させたとも語っています。
I asked him a couple of times, ‘Hey, are you gonna shoot?’
This isn’t a spectator sport. It’s a shooting sport. You shoot. And that’s what got all, you know, wired up.
何度かこう言ったんだ、「おい、お前撃つのか?」ってね。
これは見物するスポーツじゃない。射撃するスポーツだ。撃てよ。それで全てが、まあ、神経が高ぶったんだ。
edition.cnn.com/2015/02/23/us/eddie-ray-routh-american-sniper-motive/index.html
事件から4か月後、留置場のルースは元アース郡保安官代理ジーン・コールに次の様にも語っていました。
I was just riding in the back seat of the truck, and nobody would talk to me. They were just taking me to the range, so I shot them. I feel bad about it, but they wouldn’t talk to me. I’m sure they’ve forgiven me.
俺はただトラック(フォードF-350)の後部座席に乗っていて、誰も俺に話しかけようとしなかったんだ。ただ俺を射撃場に連れて行くだけで、だから彼らを撃ったんだ。悪いとは思っているが、彼らは口をきいてくれないんだ。彼らはきっと(撃ったことを)許してくれていると思うよ。
people.com/crime/witness-chris-kyles-killer-said-i-shot-them-because-they-wouldnt-talk-to-me/
事件の詳細
- 2001年~ルースの少年時代
2001年9月11日、当時13歳だったルースはテレビでアメリカ同時多発テロ事件を目の当たりにし、「将来は軍隊に入りたい」と父親に告げた。そして高校卒業後にアメリカ海兵隊に入隊。
- 2011年~ルースがPTSDを患う
2007年イラク派遣や2010年ハイチ大地震の救援活動を経験したルースは2011年に海兵隊除隊後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を診断された。しかし、ルースは入院治療を拒否し、薬の服用も止めた。
- 2013年~クリスカイルに助けを求める
ルースの母親は、PTSDに苦しむ息子を救うため、カイルにセラピーを依頼。(ルースの母親が勤める小学校にカイルの子供が通っており、ルースとカイルは同じ高校の卒業生だった)
カイルはルースと会いセラピーを開始。 - 2013年~事件発生
2013年2月2日、カイルとリトルフィールドはルースを射撃場に連れて行き射撃訓練を実施(カイルは射撃場がルースの治療に役立つと考えていた)。そしてルースがカイルとリトルフィールドを射殺し逃走。
- 2013年~逃走
ルースはタコベルでブリトーを購入後、姉の家へ向かい、姉にこの日何があったかを告白。姉は警察に通報した。自宅に戻ったルースは到着した警官に「地獄」「この世の終わり」「ブードゥー」などの意味不明なことを語ったあと逃走し、短いカーチェイスとなったが、警察車両に衝突し保安官によって逮捕された。
- 2015年~裁判
ルースは「誰も俺に話しかけてくれなかったから撃った」と供述し、ルースの弁護側は「心神喪失状態だった」と主張。
2015年2月、ルースに仮釈放なしの終身刑が言い渡された。
カイルはこの日、PTSDに悩む退役軍人であるルースを支援する目的で、友人のチャド・リトルフィールドと共に射撃場に向かっていました。
しかしその道中、ルースの様子に違和感を覚えたカイルは、リトルフィールドにメッセージを送ります。
This dude is straight-up nuts(この男は完全にイカれている)
カイルの不安は的中していたのかもしれません。
リトルフィールドも同様に危機感を抱き、次のように返信しました。
Watch my six(俺の背後に気を付けてくれ)
その後、3人は午後3時頃に射撃場へ到着します。

射撃場に到着して間もなく、悲劇が起こりました。
ルースは.45口径の1911ピストルを手に取り、突如としてカイルに向けて発砲。大動脈と顎に命中し、カイルは即死しました。
続いて、ルースはカイルの友人であるリトルフィールドに向けて、9mm口径のSIG Sauer P226 Mk.25 Mod 0を発砲。彼もまた命を奪われました。
現場検証の結果、カイルは背中に4発、顔に1発の合計5発を撃たれており、リトルフィールドは背中に5発、さらに頭頂部にも被弾していたことが判明しています。これにより、彼が倒れたあともルースに撃たれていたことが示唆されました。
なお、使用された2丁のピストルは、いずれもカイル本人の所有物でした。

当時、カイルとリトルフィールドはともに.45口径の1911ピストルを携行していました。しかし、それらはホルスターに収まったままであり、いずれもセーフティ(安全装置)がかけられた状態のままでした。
このことから、二人はまったく抵抗する間もなく、不意を突かれて襲撃されたと考えられています。
犯行後、ルースはテキサス州ミッドロージアンにある姉の自宅を訪れ、自らの行為について語りました。驚いた姉のローラ・ブレヴィンスは直ちに警察に通報し、通話の中でオペレーターにこう伝えています。
彼は完全に狂っている。彼は精神病だ。
ルースはカイルが所有していたフォードF-350トラックに乗って現場を離れ、逃走中にランカスターで警察車両と衝突。これにより現行犯逮捕されました。
裁判は当初、2014年5月5日に開廷する予定でしたが、DNA鑑定に関わる法的手続きのため延期され、最終的に公判は2015年2月11日に開始されました。
法廷では、現場の状況を示す証拠として、射撃用デッキ前の地面に横たわるカイルの写真が提示されました。このデッキは、1,000ヤード(約910メートル)先の標的に向けて射撃するために設けられた高架構造のライフル射撃台であり、その近くにはリトルフィールドの遺体も確認されています。
映画「アメリカン・スナイパー」の真実と脚色
映画「アメリカン・スナイパー」は、カイルの自伝を基にした作品です。
しかし、演出のため実際とは異なる以下の変更点があります。
その他、原作にはSEAL訓練前にロデオ選手だったエピソードが描かれていますが、映画では省略されています。
また、原作では石油プラットフォーム警護や船舶捜索など多様な任務について詳述されていますが、映画はイラクでの狙撃任務に焦点を当てています。
信憑性に関する論争
カイルは自伝やインタビューにおいて以下のような話を語っていますが、それらの多くは証拠がなく、信憑性が疑問視されています。
ジェシー・ベンチュラとのバーでの乱闘
カイルは自伝で元ミネソタ州知事でプロレスラーのジェシー・ベンチュラと、バーで口論になり殴ったという話を述べています。しかしこの主張は証明されず、ベンチュラは名誉毀損でカイルに対して訴訟を起こし、184万5千ドル(約2億円)を勝ち取りました。
裁判では、カイルの証言の信憑性に疑義が呈されました。
カイルがジェシー・ベンチュラとバーで口論になったと主張したとされる出来事は、2006年10月12日にカリフォルニア州コロナドのバー「McP’s」で、イラクで殺害されたカイルの戦友であるアメリカ海軍SEAL隊員マイケル・A・モンソールの追悼式中に起こったとされます。
モンソールは2006年9月29日のイラクの自由作戦での行動に対し、2008年4月8日に名誉勲章を追贈されました。
カイルの死後、訴訟はカイルの遺産に移管されています。
2014年7月29日、陪審はカイルが名誉毀損と不当利得についてベンチュラに責任があるという8対2の評決を下し、名誉毀損に対して50万ドル、不当利得に対して134万ドルの支払いを命じました。
2016年6月、第8巡回区連邦控訴裁判所は、ベンチュラの弁護士が関連性のない保険契約の情報を陪審に開示したことを理由に、180万ドルの賠償金を取り消し、135万ドルの不当利得はミネソタ州法と矛盾するとして棄却されています。(50万ドルの名誉毀損訴訟は差し戻されました)
2017年12月、この訴訟は非公開の金額で法廷外で和解しました。
ハリケーン・カトリーナ後のニューオーリンズでの狙撃
カイルは、2005年のハリケーン・カトリーナ後、ニューオーリンズに派遣され、略奪者を狙撃したと語っています。
これは米国内での軍による武力行使となる重大な問題ですが、そのような派遣の証拠は一切見つかっておらず、軍も公式に否定しています。
テキサスでのカージャック犯殺害
カイルは、2009年1月にダラス地域のガソリンスタンドで2人のカージャック犯を殺害したと主張しました。
男たちが銃を突きつけて強盗しようとしたが、自分の銃を抜き、両方の男の胸を撃ったと述べています。
カイルによれば、この事件は全て録画されており、警察は彼を解放したと主張しました。
また、国中の警察官から「街をきれいにしてくれてありがとう」というメールを頻繁に受け取っていたと主張しています。
しかし、このガソリンスタンドでの話も否定されました。
カイルが事件が起こったと主張した高速道路は3つの郡を通過しており、各郡の保安官は事件が起こったことを明確に否定しています。
メディアによる検証
雑誌『ニューヨーカー』では、カイルの語る逸話の多くに「誇張癖(embellishment)が見られる」と指摘し、その信憑性に疑問を呈しました。
カイルは仲間内でも「英雄視されることに酔いやすい人物」と評されることがあり、一部の証言にはヒロイズム(英雄伝説化)のための演出が含まれていると見られています。
クリス・カイルの影響

カイルの自伝「アメリカン・スナイパー」は「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーリストに37週間掲載され、軍の経験が広く注目を集めました。
退役後、カイルは退役軍人を支援する活動に尽力。
退役軍人支援団体である「FITCO Cares Foundation」を共同設立し、PTSDに苦しむ退役軍人に運動器具やカウンセリングを提供しました。
カイルは運動や他の退役軍人との交流が治療的価値を持つと信じており、射撃場もその一環として取り入れていました。
カイルの死後、以下のような影響がありました。
カイルの追悼式は2013年2月11日にテキサス州アーリントンのカウボーイズスタジアムで行われ、葬列がミッドロージアンからオースティンまで200マイル(320km)以上を移動した後、2月12日にオースティンのテキサス州立墓地に埋葬されました。