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元SEALスナイパーのクリスカイルはなぜ殺されたのか?アメリカンスナイパー殺害事件の真相と背景を解説

クリスカイル画像
クリスカイル 2012年 画像出典:Cpl. Damien Gutierrez, Public domain, via Wikimedia Commons

元Navy SEALスナイパーのクリスカイル(Chris Kyle)がテキサス州のシューティングレンジで射殺されました。

イラク戦争に従軍し160人の殺害記録(自己申告は255人)を持ち、2100ヤードの距離で狙撃を成功させた彼は「ラマディーの悪魔(The Devil of Ramadi)」と呼ばれたアメリカンヒーローでした。

まさか米国内で殺害されることになるとは驚きました。

カイルはCraft Internationalでタクティカルシューティングインストラクターとして射撃場を利用しており、現場もその射撃場です。

ご冥福をお祈りします。

この記事では、事件の経緯と詳細についてお伝えします。

クリス・カイルとは誰か

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クリスカイル 画像出典:TSHA ~ in accordance with Title 17 U.S.C. Section 107., Public domain, via Wikimedia Commons

クリス・カイルは、アメリカ海軍の元SEAL狙撃兵であり、アメリカ軍史上「最も危険な狙撃手」として知られています。

自伝『アメリカン・スナイパー』を執筆し、大ベストセラーとなりました。

また、軍務を終えた退役軍人が民間生活に適応できるよう支援する活動にも従事していました。

  • 本名:クリストファー・スコット・カイル
  • 出身:1974年4月8日、テキサス州オデッサ
  • 死没:2013年2月2日(享年38)、テキサス州イーラス郡
  • 所属:アメリカ海軍 (1999年-2009年)
  • 階級:上級下士官 (特殊戦技兵、元情報員)
  • 部隊:アメリカ海軍 シールズ、SEAL TEAM 3
  • 戦歴:イラク戦争 (2003年侵攻、ファルージャの戦い、ナシリアの戦い、第二次ファルージャの戦い、第二次ラマディの戦い、2008年イラク春季戦闘、サドルシティ包囲戦)
  • 勲章:シルバー・スター勲章、ブロンズ・スター勲章 (3個)、海軍殊勲章
  • 家族:妻タヤ・カイル (2002年結婚)、子供2人
  • 著書:アメリカン・スナイパー (2012年)、アメリカン・ガン (2013年)
  • 戦場での主な使用武器:
    • Mk 11 7.62mmNATOスナイパーライフル
    • Mk 12 5.56mm マークスマンライフル
    • レミントン 700/300 ライフル (Mk13 Mod 1)
    • その他.338 ラプアマグナムを使用する複数のライフル
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妻:タヤ・カイル 画像出典:U.S. Air National Guard photo by Staff Sgt. Phil Fountain, CC0, via Wikimedia Commons

事件の概要

2013年2月2日、テキサス州の射撃場でエディ・レイ・ルースが元米軍狙撃手であり「アメリカン・スナイパー」として有名なクリス・カイルとその友人チャド・リトルフィールドを射殺しました。

この事件にはルースが長年にわたり深刻な精神疾患を抱えていた背景があり、彼はPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されていましたが、後に統合失調症の可能性も指摘されました。

事件当時、ルースは幻覚や妄想に悩まされ、他人が自分を害しようとしていると信じ込むなど、精神的に不安定な状態にありました。

カイルは、ルースのPTSD治療を支援しようとし、射撃場に連れ出しましたが、ルースはカイルとリトルフィールドに敵意を抱き、射殺に至ります。

事件後の裁判でルースは精神疾患を理由に無罪を主張しましたが、陪審は彼を有罪と判断し、仮釈放なしの終身刑が言い渡されました。

犠牲者

  • クリス・カイル(1974年4月8日 – 2013年2月2日)当時38歳
  • チャド・リトルフィールド(1977年2月11日 – 2013年2月2日)当時35歳

エディ・レイ・ルース(加害者)

エディ・レイ・ルースは25歳の元アメリカ海兵隊員で、少なくとも2年間、精神病院への入退院を繰り返していました。

  • 本名:エディ・レイ・ルース(事件当時25歳)
  • 出身:1987年9月30日、テキサス州ランカスター
  • 軍歴:13歳から海兵隊への入隊を志し、高校卒業後、海兵隊に入隊。
  • 2007年9月、バグダッド近くの基地に配属。看守と武器修理に従事 (6ヶ月)
  • 2010年1月、ハイチへの人道支援任務に参加
  • 2011年7月、名誉除隊
  • 病状:2011年7月下旬、退役軍人病院で心的外傷後ストレス障害と診断され、薬物療法として抗精神病薬と抗うつ薬が処方。幻聴や被害妄想に悩んでおり、自殺をほのめかすこともあった。

なぜ事件は起きたのか

ルースを診断した法医学精神科医は、彼が統合失調症を患い、被害妄想を抱えていると結論付けています。

また、事件前のルースの行動がこのことを裏付けており、ルースは「同僚は自分を食べようと企む人食い人種だと思う」と法医学心理学者に語っています。

ルースは、事件当日の朝から「空気の匂いや周囲の状況に異常を感じていた」と語り、カイルとリトルフィールドを信頼できないと見ていました。

そして、カイルとリトルフィールドが途中でファストフード店に立ち寄り、ルースに食事を与えたのが「奇妙」であり、自分が空腹ではないにもかかわらず食べさせようとしているように感じたと話しています。

動機

正確な動機は不明ですが、ルースの精神状態が主な要因であったと考えられます。

自白の中でルースは、「あいつ(カイル)の魂を奪わなければ、俺の魂が奪われると思った」と発言しています。これは、射殺時に被害妄想を抱いていたことを示唆しています。

また、ルースは銃の存在を脅威に感じており、射撃場での射撃行為を「対決の一種」だと誤解していました。

ルースは事件当時について次のように述べています。

So we’re shooting pistols here, huh?

Again, that’s pretty much saying, ‘Duel mother****er.’

つまり、ここでピストルを撃つってわけか?

それって、実質「決闘しろ」ってことだろ。

edition.cnn.com/2015/02/23/us/eddie-ray-routh-american-sniper-motive/index.html

この状況の誤解が、殺害に繋がった可能性が高いと見られています。

また、射撃場でリトルフィールドが射撃に参加せず、見学していたことがルースを興奮させたとも語っています。

I asked him a couple of times, ‘Hey, are you gonna shoot?’

This isn’t a spectator sport. It’s a shooting sport. You shoot. And that’s what got all, you know, wired up.

何度かこう言ったんだ、「おい、お前撃つのか?」ってね。

これは見物するスポーツじゃない。射撃するスポーツだ。撃てよ。それで全てが、まあ、神経が高ぶったんだ。

edition.cnn.com/2015/02/23/us/eddie-ray-routh-american-sniper-motive/index.html

事件から4か月後、留置場のルースは元アース郡保安官代理ジーン・コールに次の様にも語っていました。

I was just riding in the back seat of the truck, and nobody would talk to me. They were just taking me to the range, so I shot them. I feel bad about it, but they wouldn’t talk to me. I’m sure they’ve forgiven me.

俺はただトラック(フォードF-350)の後部座席に乗っていて、誰も俺に話しかけようとしなかったんだ。ただ俺を射撃場に連れて行くだけで、だから彼らを撃ったんだ。悪いとは思っているが、彼らは口をきいてくれないんだ。彼らはきっと(撃ったことを)許してくれていると思うよ。

people.com/crime/witness-chris-kyles-killer-said-i-shot-them-because-they-wouldnt-talk-to-me/

カイルによる支援

クリス・カイルは、ルースの母親ジョディからの依頼を受けて、彼を助けようとしました。

カイルは、退役軍人が民間生活に適応する手助けをする活動に取り組んでおり、ルースも支援すべき対象と考えていたのです。

カイルはルースを車で射撃場に連れて行き、移動中に話を聞き、射撃を通して時間を過ごし、その後にさらなる支援方法を模索するつもりでした。

事件の詳細

事件に至るまでの経過とその後
  • 2001年~
    ルースの少年時代

    2001年9月11日、当時13歳だったルースはテレビでアメリカ同時多発テロ事件を目の当たりにし、「将来は軍隊に入りたい」と父親に告げた。そして高校卒業後にアメリカ海兵隊に入隊。

  • 2011年~
    ルースがPTSDを患う

    2007年イラク派遣や2010年ハイチ大地震の救援活動を経験したルースは2011年に海兵隊除隊後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を診断された。しかし、ルースは入院治療を拒否し、薬の服用も止めた。

  • 2013年~
    クリスカイルに助けを求める

    ルースの母親は、PTSDに苦しむ息子を救うため、カイルにセラピーを依頼。(ルースの母親が勤める小学校にカイルの子供が通っており、ルースとカイルは同じ高校の卒業生だった)
    カイルはルースと会いセラピーを開始。

  • 2013年~
    事件発生

    2013年2月2日、カイルとリトルフィールドはルースを射撃場に連れて行き射撃訓練を実施(カイルは射撃場がルースの治療に役立つと考えていた)。そしてルースがカイルとリトルフィールドを射殺し逃走。

  • 2013年~
    逃走

    ルースはタコベルでブリトーを購入後、姉の家へ向かい、姉にこの日何があったかを告白。姉は警察に通報した。自宅に戻ったルースは到着した警官に「地獄」「この世の終わり」「ブードゥー」などの意味不明なことを語ったあと逃走し、短いカーチェイスとなったが、警察車両に衝突し保安官によって逮捕された。

  • 2015年~
    裁判

    ルースは「誰も俺に話しかけてくれなかったから撃った」と供述し、ルースの弁護側は「心神喪失状態だった」と主張。
    2015年2月、ルースに仮釈放なしの終身刑が言い渡された。

射撃場に向かう途中、カイルはリトルフィールドに「This dude is straight-up nuts(この男は完全にイカれている)」と携帯でメッセージを送りました。

それに対し、リトルフィールドは「Watch my six(俺の背後に気を付けてくれ)」と返信しました。

そして、カイル、リトルフィールド、ルースは午後3時頃、射撃場に到着しました。

SIG P226 MK25画像
SIG Sauer P226 MK25 画像出典:Torbs, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

ルースは.45口径の1911ピストルをカイルに向け発砲し、大動脈や顎に被弾したカイルは即死。

そして、カイルの友人であるリトルフィールドを9mm口径ピストル(SIG Sauer P226 Mk.25 Mod 0)で射殺。

カイルは背中を4発、顔に1発撃たれ、リトルフィールドは背中を5発(計7発)撃たれていました。

リトルフィールドは頭頂部にも被弾していたことから、倒れたあとにも撃たれたとみられます。

殺害に使用された2丁のピストルは、どちらもカイルが所有するピストルでした。

このときカイルとリトルフィールドが装備していた1911ピストルはホルスターに収まったままで、安全装置はオンの状態でした。

カイルとリトルフィールドは、二人とも応戦する間もなく突然襲われたと考えられます。

法廷では、射撃用デッキ前の土の上にカイルが横たわっている写真が公開されました。

このデッキは1,000ヤード(910メートル)離れたターゲットを射撃するためのライフル射撃用高架デッキで、リトルフィールドもこの傍に倒れていました。

クリス・カイルの影響とその後

クリスカイルの墓画像
クリスカイルの墓 画像出典:Carlo Dani, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

カイルの自伝「アメリカン・スナイパー」は「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーリストに37週間掲載され、軍の経験が広く注目を集めました。

退役後、カイルは退役軍人を支援する活動に尽力。

退役軍人支援団体である「FITCO Cares Foundation」を共同設立し、PTSDに苦しむ退役軍人に運動器具やカウンセリングを提供しました。

カイルは運動や他の退役軍人との交流が治療的価値を持つと信じており、射撃場もその一環として取り入れていました。

カイルの死後、以下のような影響がありました。

  • AT&Tスタジアムで行われた追悼式には数千人が参列。
  • カイルの自伝をもとにした2014年の映画「アメリカン・スナイパー」は、アカデミー賞で6部門にノミネートされ、音響編集賞を受賞。
  • 2013年、テキサス州は「クリス・カイル法」を制定し、特殊作戦訓練を受けた軍人の職業ライセンス取得を支援する制度を導入。
  • テキサス州のグレッグ・アボット知事は、毎年2月2日を「クリス・カイルの日」と定めた。
  • 妻のタヤ・カイルが、軍人やFirst responder(救急隊員や警察官などの緊急対応者)の家族を支援するために「クリス・カイル・フロッグ財団」を設立。

映画「アメリカン・スナイパー」の真実と脚色

映画「アメリカン・スナイパー」は、カイルの自伝を基にした作品です。

しかし、演出のため実際とは異なる以下の変更点があります。

  • 映画:女性が子供にRKG-3(対戦車手榴弾)を手渡す。
  • 現実:子供は登場しません。現実では女性が手榴弾を持っていました。
  • 映画:1998年のアメリカ大使館爆破事件をきっかけに入隊を決意。
  • 現実:ロデオでの事故で怪我を負い、手術を受けた後に生活のため海軍に志願しました。大使館爆破事件はカイルの入隊(1998年8月5日)の2日後に発生しています。
  • 映画:30歳でSEAL訓練を受けた。
  • 現実:実際には24歳でした。
  • 映画:結婚式中に9/11テロのニュースが流れる。
  • 現実:カイルはすでに戦争に行くことを知らされており、軍事訓練中の短い休暇を利用して結婚式を挙げました。
    • 9/11テロ:2001年9月11日
    • 結婚式:2002年3月16日
  • 映画:ムスタファというシリア人スナイパーが敵役として登場。
  • 現実:このキャラクターは架空の人物です。(モデルとなったスナイパーは存在したが、カイルはその人物を一度も見たことがないと語っている)
  • 映画:アルカイダ幹部として「虐殺者(The Butcher)」が登場。
  • 現実:このキャラクターは架空の人物です。(実在のシーア派の大量虐殺者がモデル)
  • 映画:カイルたちが民間人の家で食事を取りながら、その家族が反乱軍を支持していることを知り銃撃戦になる。
  • 現実:このシーン全体がフィクションです。
  • 映画:カイルが戦場から妻に頻繁に電話し、その際に戦闘音が聞こえる。
  • 現実:カイルと妻は主にメールで連絡を取り合っていました。(電話中に戦闘音が聞こえたことは1度だけ起こった)
  • 映画:仲間のSEAL隊員ライアン・ジョブ(ビグルス)が負傷後すぐ手術中に死亡し、その後カイルが復讐を決意。
  • 現実:ジョブは軍を退役後に大学を卒業し結婚。その後、手術中の医療ミスで亡くなりました。
  • 映画:カイルに18万ドルの懸賞金がかけられた。
  • 現実:懸賞金は2万〜8万ドルの範囲で、全アメリカ人スナイパーに適用されたものでした。
  • 映画:カイルがムスタファを倒した後、戦争に対する精神的負担を理由に帰国を決意。
  • 現実:妻の要求で帰還を決断しました。(妻のタヤは「帰国しなければ離婚する」と脅していた)
  • 映画:髭を生やしたカイル。
  • 現実:イラク派遣中、ほとんど髭を剃っていました。
  • 映画:マーク・リーは銃撃戦で死亡。
  • 現実:マーク・リーはIED(即席爆弾)の爆発で死亡しました。
  • 映画:カイルはほぼ無傷。
  • 現実:膝の負傷や手の骨折など、いくつかの怪我を経験し、それでも前線に留まるため治療を後回しにしていました。
  • 映画:終盤で、カイルが妻と会話を交わしてから射撃場に向かう。
  • 現実:この会話は脚本家が追加しました(この会話自体はカイルが亡くなる1ヵ月前に交わされたものであり、最後の会話ではなかった)。この会話は本には登場せず、脚本家はカイルの妻タヤから説明されたと語っています。
  • 映画:カイルが射撃場で殺害されるシーン。
  • 現実:妻タヤの要請によりカットされました。

その他、原作にはSEAL訓練前にロデオ選手だったエピソードが描かれていますが、映画では省略されています。

また、原作では石油プラットフォーム警護や船舶捜索など多様な任務について詳述されていますが、映画はイラクでの狙撃任務に焦点を当てています。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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