元Navy SEALスナイパーのクリスカイル(Chris Kyle)がテキサス州のシューティングレンジで射殺されました。
イラク戦争に従軍し160人の殺害記録(自己申告は255人)を持ち、2100ヤードの距離で狙撃を成功させた彼は「ラマディーの悪魔(The Devil of Ramadi)」と呼ばれたアメリカンヒーローでした。
まさか米国内で殺害されることになるとは驚きました。
カイルはCraft Internationalでタクティカルシューティングインストラクターとして射撃場を利用しており、現場もその射撃場です。
ご冥福をお祈りします。
この記事では、事件の経緯と詳細についてお伝えします。
クリス・カイルとは誰か
クリス・カイルは、アメリカ海軍の元SEAL狙撃兵であり、アメリカ軍史上「最も危険な狙撃手」として知られています。
自伝『アメリカン・スナイパー』を執筆し、大ベストセラーとなりました。
また、軍務を終えた退役軍人が民間生活に適応できるよう支援する活動にも従事していました。
事件の概要
2013年2月2日、テキサス州の射撃場でエディ・レイ・ルースが元米軍狙撃手であり「アメリカン・スナイパー」として有名なクリス・カイルとその友人チャド・リトルフィールドを射殺しました。
この事件にはルースが長年にわたり深刻な精神疾患を抱えていた背景があり、彼はPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されていましたが、後に統合失調症の可能性も指摘されました。
事件当時、ルースは幻覚や妄想に悩まされ、他人が自分を害しようとしていると信じ込むなど、精神的に不安定な状態にありました。
カイルは、ルースのPTSD治療を支援しようとし、射撃場に連れ出しましたが、ルースはカイルとリトルフィールドに敵意を抱き、射殺に至ります。
事件後の裁判でルースは精神疾患を理由に無罪を主張しましたが、陪審は彼を有罪と判断し、仮釈放なしの終身刑が言い渡されました。
犠牲者
エディ・レイ・ルース(加害者)
エディ・レイ・ルースは25歳の元アメリカ海兵隊員で、少なくとも2年間、精神病院への入退院を繰り返していました。
なぜ事件は起きたのか
ルースを診断した法医学精神科医は、彼が統合失調症を患い、被害妄想を抱えていると結論付けています。
また、事件前のルースの行動がこのことを裏付けており、ルースは「同僚は自分を食べようと企む人食い人種だと思う」と法医学心理学者に語っています。
ルースは、事件当日の朝から「空気の匂いや周囲の状況に異常を感じていた」と語り、カイルとリトルフィールドを信頼できないと見ていました。
そして、カイルとリトルフィールドが途中でファストフード店に立ち寄り、ルースに食事を与えたのが「奇妙」であり、自分が空腹ではないにもかかわらず食べさせようとしているように感じたと話しています。
動機
正確な動機は不明ですが、ルースの精神状態が主な要因であったと考えられます。
自白の中でルースは、「あいつ(カイル)の魂を奪わなければ、俺の魂が奪われると思った」と発言しています。これは、射殺時に被害妄想を抱いていたことを示唆しています。
また、ルースは銃の存在を脅威に感じており、射撃場での射撃行為を「対決の一種」だと誤解していました。
ルースは事件当時について次のように述べています。
So we’re shooting pistols here, huh?
Again, that’s pretty much saying, ‘Duel mother****er.’
つまり、ここでピストルを撃つってわけか?
それって、実質「決闘しろ」ってことだろ。
edition.cnn.com/2015/02/23/us/eddie-ray-routh-american-sniper-motive/index.html
この状況の誤解が、殺害に繋がった可能性が高いと見られています。
また、射撃場でリトルフィールドが射撃に参加せず、見学していたことがルースを興奮させたとも語っています。
I asked him a couple of times, ‘Hey, are you gonna shoot?’
This isn’t a spectator sport. It’s a shooting sport. You shoot. And that’s what got all, you know, wired up.
何度かこう言ったんだ、「おい、お前撃つのか?」ってね。
これは見物するスポーツじゃない。射撃するスポーツだ。撃てよ。それで全てが、まあ、神経が高ぶったんだ。
edition.cnn.com/2015/02/23/us/eddie-ray-routh-american-sniper-motive/index.html
事件から4か月後、留置場のルースは元アース郡保安官代理ジーン・コールに次の様にも語っていました。
I was just riding in the back seat of the truck, and nobody would talk to me. They were just taking me to the range, so I shot them. I feel bad about it, but they wouldn’t talk to me. I’m sure they’ve forgiven me.
俺はただトラック(フォードF-350)の後部座席に乗っていて、誰も俺に話しかけようとしなかったんだ。ただ俺を射撃場に連れて行くだけで、だから彼らを撃ったんだ。悪いとは思っているが、彼らは口をきいてくれないんだ。彼らはきっと(撃ったことを)許してくれていると思うよ。
people.com/crime/witness-chris-kyles-killer-said-i-shot-them-because-they-wouldnt-talk-to-me/
カイルによる支援
クリス・カイルは、ルースの母親ジョディからの依頼を受けて、彼を助けようとしました。
カイルは、退役軍人が民間生活に適応する手助けをする活動に取り組んでおり、ルースも支援すべき対象と考えていたのです。
カイルはルースを車で射撃場に連れて行き、移動中に話を聞き、射撃を通して時間を過ごし、その後にさらなる支援方法を模索するつもりでした。
事件の詳細
- 2001年~ルースの少年時代
2001年9月11日、当時13歳だったルースはテレビでアメリカ同時多発テロ事件を目の当たりにし、「将来は軍隊に入りたい」と父親に告げた。そして高校卒業後にアメリカ海兵隊に入隊。
- 2011年~ルースがPTSDを患う
2007年イラク派遣や2010年ハイチ大地震の救援活動を経験したルースは2011年に海兵隊除隊後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を診断された。しかし、ルースは入院治療を拒否し、薬の服用も止めた。
- 2013年~クリスカイルに助けを求める
ルースの母親は、PTSDに苦しむ息子を救うため、カイルにセラピーを依頼。(ルースの母親が勤める小学校にカイルの子供が通っており、ルースとカイルは同じ高校の卒業生だった)
カイルはルースと会いセラピーを開始。 - 2013年~事件発生
2013年2月2日、カイルとリトルフィールドはルースを射撃場に連れて行き射撃訓練を実施(カイルは射撃場がルースの治療に役立つと考えていた)。そしてルースがカイルとリトルフィールドを射殺し逃走。
- 2013年~逃走
ルースはタコベルでブリトーを購入後、姉の家へ向かい、姉にこの日何があったかを告白。姉は警察に通報した。自宅に戻ったルースは到着した警官に「地獄」「この世の終わり」「ブードゥー」などの意味不明なことを語ったあと逃走し、短いカーチェイスとなったが、警察車両に衝突し保安官によって逮捕された。
- 2015年~裁判
ルースは「誰も俺に話しかけてくれなかったから撃った」と供述し、ルースの弁護側は「心神喪失状態だった」と主張。
2015年2月、ルースに仮釈放なしの終身刑が言い渡された。
射撃場に向かう途中、カイルはリトルフィールドに「This dude is straight-up nuts(この男は完全にイカれている)」と携帯でメッセージを送りました。
それに対し、リトルフィールドは「Watch my six(俺の背後に気を付けてくれ)」と返信しました。
そして、カイル、リトルフィールド、ルースは午後3時頃、射撃場に到着しました。
ルースは.45口径の1911ピストルをカイルに向け発砲し、大動脈や顎に被弾したカイルは即死。
そして、カイルの友人であるリトルフィールドを9mm口径ピストル(SIG Sauer P226 Mk.25 Mod 0)で射殺。
カイルは背中を4発、顔に1発撃たれ、リトルフィールドは背中を5発(計7発)撃たれていました。
リトルフィールドは頭頂部にも被弾していたことから、倒れたあとにも撃たれたとみられます。
殺害に使用された2丁のピストルは、どちらもカイルが所有するピストルでした。
このときカイルとリトルフィールドが装備していた1911ピストルはホルスターに収まったままで、安全装置はオンの状態でした。
カイルとリトルフィールドは、二人とも応戦する間もなく突然襲われたと考えられます。
法廷では、射撃用デッキ前の土の上にカイルが横たわっている写真が公開されました。
このデッキは1,000ヤード(910メートル)離れたターゲットを射撃するためのライフル射撃用高架デッキで、リトルフィールドもこの傍に倒れていました。
クリス・カイルの影響とその後
カイルの自伝「アメリカン・スナイパー」は「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーリストに37週間掲載され、軍の経験が広く注目を集めました。
退役後、カイルは退役軍人を支援する活動に尽力。
退役軍人支援団体である「FITCO Cares Foundation」を共同設立し、PTSDに苦しむ退役軍人に運動器具やカウンセリングを提供しました。
カイルは運動や他の退役軍人との交流が治療的価値を持つと信じており、射撃場もその一環として取り入れていました。
カイルの死後、以下のような影響がありました。
映画「アメリカン・スナイパー」の真実と脚色
映画「アメリカン・スナイパー」は、カイルの自伝を基にした作品です。
しかし、演出のため実際とは異なる以下の変更点があります。
その他、原作にはSEAL訓練前にロデオ選手だったエピソードが描かれていますが、映画では省略されています。
また、原作では石油プラットフォーム警護や船舶捜索など多様な任務について詳述されていますが、映画はイラクでの狙撃任務に焦点を当てています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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