ご質問を頂きました。
44オートマグの質問です。
HIGH STANDARDやTDE、AMT、AとMを重ねたエンブレム・ロゴの物が、画像検索で4種類ほど確認が出来ました。
どの様な変遷を経て来たのかを知りたいです。
また、他にも、バリエーションが有りましたらお教えください。
オートマグの変遷について解説します。
オートマグとは?

オートマグとは、アメリカ・カリフォルニア州のガンスミス、ハリーサンフォード、マックスゲラ達によって開発されたステンレス製マグナムピストルです。
開発された1970年当時は「世界最強のピストル」と謳われました。
オートマグ専用弾である.44AMP(.44オートマグピストル)を使用し、AR-15のボルトに類似したロータリーボルトで閉鎖と解放を行い作動します。
ガス作動のAR-15とは異なり、反動利用方式のオートマグのボルトを後退させるには必要とされる質量が足りないため、ボルトの後退速度を向上させるアクセレレーターを内蔵しています。
またプロトタイプを開発する過程で二つのワルサーP38フレームを繋げるなど、ワルサーP38をイメージして開発されたため、オートマグの分解方法にワルサーP38との類似点が見られます。
オートマグは製造コストに見合わない217.5ドル(現在の約1,380ドル相当)という格安バーゲンプライスで発売され、「売れば売るほど赤字」という状態でした。今年のショットショー(SHOT 2018)では、オートマグ開発に携わったラリー・グロスマンが「あの価格はクレイジーだった」と振り返っていましたが、当時もオートマグ社の技術陣と社長であるハリーサンフォードの間で価格を巡って軋轢が生じ、技術者がオートマグ社を去る切っ掛けになっています。
(現在では中古でも2,000~4,000ドル以上で取引されています)
オートマグ社は2年あまりで倒産した短命企業でしたが、その後も複数の企業でオートマグが製造されました。また同時にカスタムモデルも多数製造されたため、多くのバリエーションが存在します。
銃身長は4.5インチから16.5インチまで製造され、口径バリエーションには.44AMP、.41JMP、.357AMPなどが存在します。
オートマグにはIからVまで存在しますが、今回は初代オートマグIのみ触れます。
オートマグIだけでも奥が深いので、できるだけ分かりやすく簡潔に解説したいと思います。
オートマグを製造した企業
オートマグ社はカリフォルニア州パサデナに設立され、ここで製造されたオートマグは通称「パサデナ・オートマグ」と呼ばれており、最も価値のある時代のオートマグとして取引されています。
オートマグ社倒産の後、トーマス・オイル・カンパニー社が工場設備などを買収し、TDE(トラスト・ディード・エステイツ)社を設立。
オートマグ開発者のハリーサンフォードは、TDE社でオートマグの製造を継続しました。
当初、TDE社はノースハリウッドに設立されましたが、大量のオーダーを受けるには工場が狭すぎると判断され、すぐにエルモンテに移転しています。
ここまでで製造されたモデルが、いわゆる「Aシリーズ」と呼ばれるオートマグであり、シリアルナンバーがAで始まっています。
そしてTDE社ではガンスミスのリージャラスによって、様々なカスタムモデルが製造されました。
TDE社はやがてハリーサンフォードの新会社であるOMC(オードナンス・マニュファクチュアリング・カンパニー)社と合併してTDE/OMCとなり、後にAMT社創設へ繋がります。
企業名と地名 | シリアルナンバー |
---|---|
AMC (Auto Mag Corp) (カリフォルニア州パサデナ) | Aシリーズ A0001 – A3300 |
TDE (Trust Deed Estates)(カリフォルニア州ノースハリウッド) | Aシリーズ A3400 – A05015 |
TDE (Trust Deed Estates) (カリフォルニア州エルモンテ) | Aシリーズ A05016 – A08300 |
TDE (Trust Deed Estates) (カリフォルニア州エルモンテ) | ハイスタンダード H1 – H198 他多数 |
TDE (Trust Deed Estates) (カリフォルニア州エルモンテ) | リージャラスカスタム LEJ1X – LEJ100X (.44AMP) LEJ001 – LEJ100(.41JMP) LEJ001 – LEJ100(.357AMP) |
TDE/OMC (Trust Deed Estates / Ordnance Manf Corp) (カリフォルニア州エルモンテ) | Bシリーズ B00001 – B00370 |
AMT (Arcadia Machine & Tool) (カリフォルニア州アーウィンデール) | Cシリーズ LAST1 – LAST50 (計50丁) |
AMC (Auto Mag Corp) (カリフォルニア州コビナ) | 不明 |
AM (Auto Mag) (カリフォルニア州アーウィンデール) | 不明 |
AM (Auto Mag)(サウスダコタ州スタージス) | 不明 |
Auto Mag Ltd. Corp. (サウスカロライナ州ロリス) | 不明 |
Excell Arms (アリゾナ州ブルヘッド)(カリフォルニア州オンタリオ) | 不明 |
モデルナンバーの違い
オートマグのモデル名には「オートマグ180」と「オートマグ160」があり、モデル180は弾薬に.44AMPを使用し、モデル160は.357AMPを使用します。
しかし、TDE/OMCが製造したBシリーズのオートマグでは、モデルナンバーを180から280へ、160から260へ変更しました。
そのため、.44AMPのオートマグ280と、.357AMPのオートマグ260も存在します。
また、リージャラスによるカスタムモデルをシリーズ展開し、モデル100、モデル200、モデル300、モデル400、モデル500、モデル600を製造しました。

オートマグはいつ誰が作ったのか?
オートマグの主要開発者と開発の経緯は以下の通りです。
ハリー・サンフォード(Harry W. Sanford)
オートマグ開発者。
カリフォルニア州パサデナのガンショップオーナーであり、後にオートマグ社、OMC社、AMT社を創設。
採算の取れない価格でオートマグを販売し、オートマグ開発技術陣と対立したが、経営が苦しい状態でも社員をクビにすることはなかった。
ラリーグロスマン曰く、「賢い経営判断ではなかったが、それが彼のやり方だった」
また大の射撃好きで、殆ど毎日射撃場に通っていた。
マックス・ゲラ(Max Gera)
イタリア・ベニス出身の移民アメリカ人でガンスミス。
パックマイヤー社に入社するも社長から屈辱的扱いを受け退社。
ガンスミスを探していたハリーサンフォードの元で働くこととなり、オートマグのプロトタイプを製造するが、やがて出資者やハリーサンフォードに不満を持ち独立。
その後、ガンスミスや自動車販売業に就くが、1989年から妻子を捨て行方不明になり、2009年に発見され妻子と再会した。
リー・ジャラス(Lee E. Jurras)
フロリダ州のイチゴ農家に生まれた元海兵隊員。
高速ピストル弾のスペシャリストであり、弾薬メーカー「スーパーベルコープ」社長。
ハリーサンフォードと協力し、.41JMP(ジャラス・マグナム・ピストル)の開発、及びカスタムモデルの製造販売に尽力。
南アフリカでオートマグを使用したハンティングを行うハンターでもあり、銃器専門誌で執筆した。

マーク・ローベンデール(Mark Lovendale)
オートマグ社の開発技術陣リーダー。
マックスゲラのクロモリスチール製プロトタイプを元にステンレス製オートマグを製造。
1970年10月~1971年1月にオートマグ社の副社長を務めた。
ラリー・グロスマン(Larry Grossman)
元AMT社のガンスミスでオートマグシリーズ(II~V)の設計者。
俳優クリントイーストウッドに贈られたカスタムオートマグ「クリント1」の空砲バージョン「クリント2」を製造し、映画「ダーティハリー4」で使用された。
2018年現在はエクセルアームズ社で新型オートマグの開発を行っている。
ケント・ロモント(Kent Allen Lomont)
インディアナ州、ロモント・プレシジョン・ブレット社社長。
アメリカのマシンガン界で有名なClassIIIディーラーであり、.30LMP(ロモント・マグナム・ピストル)の開発者。
ハリーサンフォードと共にカスタムオートマグの開発に携わった。
オートマグ年表
1958年 | ハリーサンフォードが新弾薬.44AMP(.44オートマグピストル)を開発 |
1963年 | リージャラスがスーパーベルコープ社(Super Vel Corp)をインディアナ州に創設 |
1965年 | ハリーサンフォードがオートマグピストルの開発を始める |
1968年 | シングルショット試製オートマグを製造 ガンスミスのマックスゲラがパックマイヤー社に入社するも同年退社し、 ハリーサンフォードのガンショップに入社、オートマグ開発に携わる |
1969年 | 装填と排莢を行えるボルトを持つ試製オートマグを製造 |
1970年 | ハリー・サンフォードがカリフォルニア州パサデナにオートマグコーポレーション社創設 同年3月、銃器専門誌「Guns & Ammo」でジェフクーパーがオートマグを紹介するが、 マガジンは未完成だった |
1970年10月 | マックスゲラが投資家やハリーサンフォードへの不信によりオートマグ社を退社し、 ガンショップ「ゲラ・アームズ」を開店(翌年閉店) |
1971年8月8日 | オートマグ発売 |
1972年 | ノースハリウッドガンズ社の協力によって.357AMP開発 |
1972年5月3日 | 経営方針を巡る社内の対立や投資家の引き上げによってオートマグコーポレーション社倒産 トーマス・オイル・カンパニー社が工場設備と約5000丁分のパーツを買収し、 TDE社(トラスト・ディード・エステイツ)を創設 TDEでオートマグが製造されるなか、ハリーサンフォードは1996年までオートマグパーツ販売を継続(TDEは約4900丁製造) |
1972年9月 | .45ACPモデルの発売を予定していたが、発売されなかった |
1974年 | ハリーサンフォードがスーパーベルコープ社社長のリー・ジャラスに協力を要請 同年スーパーベルコープ社廃業 1974~1976年にリージャラスによって約1100~1200丁のオートマグを販売 リージャラスがオートマグ愛好家のクラブ「Club de Auto Mag International」を創設 (同年4月から月刊会報誌を発行し、1975年には会員数700人まで成長) |
1974年4月 | ハイスタンダード・ファイアーアームズ社(テキサス州ヒューストン)の依頼により 同社ロゴ入りオートマグを製造 (シリアルナンバー「H」で始まる) |
1976年 | アメリカ独立200周年記念モデルを限定100丁製造 (シリアルナンバー:USA001~) |
1977年 | ハリーサンフォードがAMT(アルカディア・マシン&ツール)社創設 |
1980年7月 | AMT社によって.45WinMag対応バレルを試作 |
1980年8月28日 | 俳優クリントイーストウッドがハリーサンフォードから贈られたカスタムオートマグ 「クリント1」の礼状を送る |
1982年 | オートマグ製造終了 |
1983年12月8日 | クリントイーストウッドに贈られたカスタムモデル「クリント1(クリント2)」が 映画「ダーティハリー4」(原題 Sudden Impact)に登場 |
1985年 | ハリーサンフォードとラリーグロスマンによってAMTオートマグIIを開発 |
1989年 | AMT社(カリフォルニア州コビナ)倒産により同州アーウィンデールのIAI (アーウィンデール・アームズ・インコーポレイテッド)社が買収 |
1992年 | AMTオートマグIIIおよびIV発売 |
1993年 | AMTオートマグV発売 |
1996年 | 急性心不全によりハリーサンフォード死去(享年65歳) |
1998年 | サウスダコタ州のガレナインダストリーズ社(Galena Industries)がIAI社を買収 |
2000年 | ガレナインダストリーズ社がオートマグの再販を発表 限定1,000丁のハリーサンフォード記念モデルが製造された |
2001年 | IAIによるAMTブランド銃器製造終了 |
2002年7月25日 | ガレナインダストリーズ社がAMT銃器製造設備やパーツをオークションで売却 (ハイスタンダード・ファイアーアームズ社がAMTブランドの製造販売を継続) |
2012年1月27日 | ケントロモント死去 |
2015年8月 | オートマグ社(Auto Mag Ltd. Corp/サウスカロライナ州)創設 ハリーサンフォードの息子ウォルターサンフォードからオートマグ社に全ての権利を売却 |
2017年4月24日 | リージャラス死去 |
2017年? | エクセルアームズ社(ラリー・グロスマン)がオートマグを製造することにオートマグ社が合意 |
2018年1月23日 | エクセルアームズ社がショットショー(SHOT 2018)でオートマグを公開 |
2018年5月 | ハイスタンダード・ファイアーアームズ社倒産 |
先ほど「オートマグはハリーサンフォードとマックスゲラ達によって開発された」と申しましたが、実は誰のアイディアでオートマグが開発されたのかハッキリしていないところがあります。
1970年3月のGuns & Ammo誌では、マックスゲラがオートマグの開発者として紹介されました。
しかし、ロータリーボルトをピストルに使用するアイディアについて、マックスゲラは「これは自分のアイディアであって、ハリーは関与していない」と述べる一方、ハリーサンフォードの家族は「ハリーのアイディア」と述べています。
オートマグの最終的な特許情報を見ると、そこにマックスゲラの名前は無いのでマックスゲラの作品とは言えないように見えますが、マックスゲラはオートマグの特許出願前に退社しており、タイミングが悪く名前が載らなかったとも見られます。
オートマグの特許を取得したのはハリーサンフォードであり、一般的にオートマグを紹介する際には「開発者はハリーサンフォード」と紹介されますが、マックスゲラの存在も重要だったといえるかもしれません。