
スナイパーと聞くと、映画やゲームに登場する「一発で頭部を撃ち抜くヘッドショット」を思い浮かべるかもしれません。
しかし、現代の戦場でスナイパー(狙撃手)が最も多く狙うのは頭部ではなく、胴体=センターマス(center mass)です。
なぜ彼らは、命中すれば即死させられる頭部ではなく、胴体を優先するのでしょうか。
その理由は、「命中率」「任務達成率」「戦術的安全性」を総合的に考慮した結果にあります。
この記事では、その背景を歴史的な戦術の変遷から現代の事例まで詳しく解説します。
歴史的背景と戦術の変遷

第一次世界大戦および第二次世界大戦では、光学照準器は現代より性能が低く、狙撃銃の配備数も限られていました。
第一次世界大戦
第一次大戦では塹壕戦が主で、交戦距離は100~400メートル程度と短く、敵が塹壕の縁や射撃口から頭部だけを露出する場面が多く見られました。このため、頭部を狙う狙撃が多く行われ、初期の塹壕戦では狙撃による死傷者の約75%が頭部への命中だったとされます。
1915年にスチールヘルメットが導入されると致命的な頭部負傷は大幅に減少しましたが、狙撃手は依然として士官や観測員など、頭部を露出させる高価値目標を狙撃しました。
ドイツ軍や連合軍はペリスコープ付きライフルや囮の頭部模型を使い、反撃や敵狙撃手の位置特定を行いました。
第二次世界大戦
第二次世界大戦では光学サイトが改良されたものの、多くの歩兵用小銃には依然スコープが装備されていませんでした。
交戦距離は戦場環境によって異なり、スターリングラードなどの市街戦や東部戦線では短距離狙撃が多く、開けた地形では長距離射撃も行われました。
狙撃目標は士官、機関銃手、斥候などが優先され、状況に応じて頭部や胴体を狙いました。
当時の公式射撃教義では「見える部分の中心(center of visible mass)」を狙うことが基本とされ、これは命中率を高めるためです。
遮蔽物から顔だけを出す敵には頭部を狙うこともありましたが、胴体への射撃が重視され、これはソ連、イギリス、アメリカなど多くの国で共通の方針でした。
狙撃の目的は単に敵を殺すことではなく、確実に戦闘不能にすることに置かれていました。
冷戦期

冷戦期に入ると、光学照準器の性能向上や狙撃銃の標準化により、より長距離での射撃が可能になりました。
長距離での射撃が可能になったことで、命中率を最大化するために胴体を狙う方針が確立されます。
1950年代から1970年代にかけて、西側・東側両陣営の軍はこれらの教義を体系化し、高性能な光学機器や狙撃チームの運用を実践に取り入れました。
現代の狙撃

1970年代以降、狙撃の教義は「確実な命中による即時無力化」を重視しつつも、ヘッドショットは一般的な狙点としては扱われなくなりました。これは、頭部が小さく動きやすい標的であり、防具の普及によって長距離からの貫通が困難になったためです。
多くの軍では、狙撃手訓練の中でヘッドショットは「特殊条件下での限定的射撃」と位置づけられ、敵狙撃手の排除、頭部のみ露出した標的、あるいは要人無力化などに限定されました。
一方で、近接距離で活動する特殊部隊や警察狙撃手は、特定の任務において延髄や眼窩など中枢神経を狙う射撃を訓練に含めました。これは人質救出や重要施設防衛のように、即時かつ確実な制圧が求められる場面に対応するためです。
冷戦後期には、可動式・部分露出ターゲットを用いた訓練が広く行われ、射手は状況に応じて最適な狙点を瞬時に判断する能力を養いました。
この流れは21世紀の戦場にも受け継がれ、現代軍では胴体狙撃を基本としつつも、必要とされる局面においてのみ高精度なヘッドショットを実行するという方針が確立しています。
技術的な命中率の差

長距離(例えば500メートル以上)での射撃において、熟練した狙撃兵でも頭部を狙うのは胴体を狙うよりもはるかに難しくなります。その理由は以下の通りです。
米陸軍の射撃教範「TC 3-22.9」における狙撃箇所選択
米陸軍の「TC 3-22.9」は狙撃やライフル射撃の公式マニュアルで、技術指導や戦術運用の基礎資料として広く使われています。
以下は狙撃箇所に関する部分の要約です。
装備と防御力の影響

現代の兵士が着用する防護装備、とくに米軍のアドバンスド・コンバット・ヘルメット(ACH)やロシアの6B47などの防弾ヘルメットは、狙撃の標的選定に大きな影響を与えています。
防護装備の特徴 | 狙撃戦術への影響 |
---|---|
防弾ヘルメット(ACH、6B47) | 斜めの着弾で跳弾させヘッドショットの致命率を下げる |
防弾ベストの硬質プレート | 胸部は防御されるが腹部・骨盤は弱点となり、戦術的に狙撃対象となる |
軍事教範の指導 | 頭部より胴体を標準ターゲットにし、状況に応じて弱点部を狙う方針 |
これら多くの試験結果や実戦経験から、現代の狙撃教範に反映されています。
実戦での狙撃例

近年の紛争や特殊作戦における狙撃の戦術では、信頼性や戦術効果、任務成功の観点から、頭部よりも胴体や骨盤を狙うことが一貫して重視されています。
戦場・部隊 | 主な狙撃戦術 | 戦術的理由 |
---|---|---|
イラク戦争・アフガニスタン | 胴体・骨盤への90%以上の命中 | 大きく安定したターゲット、重要臓器の集中 |
ウクライナ戦争 | 胴体狙撃中心、負傷狙いによる戦力分散戦術 | 戦術的撹乱、狙撃兵の秘匿維持 |
特殊部隊(SAS・デルタ等) | 近距離でのヘッドショット | 即時無力化を目的としたミッション特化 |
現代の狙撃は、任務内容や環境に応じて胴体狙撃を基本とし、特殊な場合に限りヘッドショットを行うのが一般的です。
ヘッドショット(頭部狙撃)が選択される特殊状況

特定の戦術状況、例えば人質救出やカウンターテロ作戦、重装備の敵兵との交戦、都市部の近接戦闘では、狙撃手の標的選択は任務の緊急性、敵の弱点、環境条件に応じて頭部狙いかその他の部位を優先します。
以下に、軍や警察の教範、訓練マニュアル、実例に基づく詳細をまとめました。
人質救出・カウンターテロ作戦
重装備の敵兵が頭部のみ露出している場合

都市・近接戦闘(CQC)環境
状況 | 狙撃戦術 | 部隊例 |
---|---|---|
人質救出・カウンターテロ | 100m未満の近距離で即時無力化を狙いヘッドショット優先 | FBI HRT、米デルタフォース、英国SAS |
重装備敵兵が頭部のみ露出 | 防弾装備により胴体攻撃困難時はヘッドショット | 米陸軍TC 3-22.9、ウクライナ戦争の狙撃手 |
都市・近接戦闘(CQC)環境 | 状況に応じて頭部や胴体など精密射撃を実施 | SWAT、シンガポールSTAR部隊、NTOAガイドライン |
まとめ
現代の狙撃は、単なる「命中の精度」だけでなく、命中確率・任務成功率・戦術的安全性を総合的に判断した結果、目標部位が決定されます。
その結果、大半の狙撃は胴体=センターマスを狙うことが基本となり、ヘッドショットは人質救出や重装備の敵との交戦など、特殊な状況に限られます。
米陸軍 TC 3-22.9 ライフル射撃教範(Rifle Marksmanship Manual)
- 発行年:2020年
- URL: https://shootingtargets7.com/pages/tc-3-22-9
米海兵隊 MCRP 3-01A ライフル射撃教範(Rifle Marksmanship)
英国軍狙撃訓練マニュアル
Sajnog, Chris 『The New Rules of Marksmanship』
米陸軍 トレーニング診断ガイド(Training Diagnostic Guide)
- 発行年:2025年
- URL: https://apps.dtic.mil/sti/pdfs/ADA544533.pdf
米陸軍アーバンスナイパー運用研究(イラク戦時)
ウクライナ紛争における狙撃戦報告
- URL: https://www.kyivpost.com/post/20152
- URL: https://wanderingthroughthenight.wordpress.com/2024/06/27/ukraine-a-case-study-in-long-range-sniper-operations/
防弾ヘルメット(米軍ACH、ロシア6B47)に関する試験・報告
- URL: https://www.bodyarmornews.com/how-effective-is-the-ballistic-helmet/
- URL: https://www.sciencedirect.com/topics/engineering/advanced-combat-helmet
その他(米軍および英軍の各種狙撃戦術に関するYouTubeおよび公開動画資料)